海外に住んでいても、秋葉原の無差別殺傷事件には関心を持たざるを得ません。
この事件で、クローズアップされて始めているのが、犯人の置かれた孤独で希望のない状況から起きた事件から、現在大きく日本の地盤を揺るがそうとしている若者の格差社会の拡大を再認識させられたことではないでしょうか。折りしも、私の世代が大学を卒業する頃は、バブルがはじけ就職難が続き、ニートと呼ばれる人たちが大量に生産され始め、派遣会社が市民権を獲得しながら低コストの労働者人口を拡大させ、社会のシステムが変わり始めた頃と一致しているので、興味を持ちます。そして、旧帝国大と呼ばれる一流大学からもそういった正社員から外れていく人たちがでている事実があることから、学歴格差というより「希望格差」社会がこの日本の若者を飲み込んでいるのでしょう。
この社会から孤立した若者たちのたどる運命が、30年後の日本の将来を示しているのではないでしょうか。結婚もできない、その日暮らしの不安定な生活、生きる目標や希望をもてない人たちは、毎日、この物資の豊かな世界で生まれた中で死と隣り合わせの生活をしているかと思うと、自然とそういう状況に置かれていない人も、この世界の将来に不安を感じてしまいます。これまで、日本では自殺者が他の国(たとえばアメリカ)と比べて多いと言われていますが、単に他の国では生きる価値を失った人が、自分を殺すのではなく他人を巻き添えにする凶悪犯罪が多いだけだと聞いたことがあります。でも、今回の秋葉原の事件など無差別の殺人が増えているのは、日本人の切腹,自決の精神から西洋の倫理を失った野蛮や方法へと転換しているんじゃないでしょうか。そしてそれは、教育システムの弱体化、家庭崩壊、人間関係の希薄化、人間社会のシステム化といった、いろいろなことが複雑に絡み合った結果なのかもしれません。つまるところ倫理観というか人間性の崩壊です。
これは、ニート、派遣社員や日雇いの人たち、下請け会社員といった人たちばかりではありません。大学社会にも大きな問題として立ちはだかっています。いわゆるポスドク大量生産と、その後に起こっている大学院進学率の低下、高度学歴社会への否定、高学歴者の就職難は、日本の先進国としての将来に影を落としています。これは、私のすんでいる世界そのものなので、まさに個人的にも深刻です。勉強しても報われない、がんばっても報われない、人を踏み倒す(利用する)人が成功する世の中では、将来への希望は自然と暗く感じるでしょう。
これから先、食糧難、資源難とますます物質的に豊かな生活ができなくなってくる世界が始まるのに、希望の持てない社会がそこにあると日本の発展はないといっても過言ではないでしょう。パナソニックやソニー、トヨタが、工場拠点だけでなく本社自身も海外へ移ってしまい、昔は日本の会社だったといわれる世の中が来るかもしれません。グローバル化は、非情ですから。また、将来の日本は、戦争は職を提供できるためにアメリカ同様好戦的な国に変わっているかもしれません。
日本は、もっとも裕福な先進国の一つです。その中で、アフリカや中南米、アジアの貧困国のことを考えている人は少数じゃないでしょうか。私も恥ずかしながらその一人です。そういった国では、希望を持てない人が多くいます。犯罪も多いし、国自体が荒れていることも多々あります。彼らは、日本の格差社会で置いていかれた人たちと同じく、声を上げようと思っても、先進国や権力者、既得権者に抑えられて、大きな声を上げることができません。この秋葉原の事件は、いろんな意味で社会の負の部分を考えさせられるきっかけになれば、亡くなった方の供養にもなるのではないでしょうか。置かれていった人たち、国を無視し続けるといつか痛い思いをするのは自分たちです。今は勝ち組でも将来も勝ち組に残っているとは限りませんし、国が廃れればほとんどの人は負け組みに転落してしまいます。アメリカの中流白人階級がそういう状況に陥ってきています。北朝鮮いじめもそろそろ終わりにする時です。
倖田來未の「羊水腐れる」騒動は、日本で盛り上がっているようですね。